京都片泊まり観光案内
tag:kyoto.taishoro.com,2021://7
2014-11-04T09:14:31Z
京都の人気観光案内、京都の旅館ホテルおすすめ宿泊予約情報、京都の歴史文化ガイド。京都旅行のお役立ち情報満載、清水寺、建仁寺、高台寺、八坂神社、知恩院、本能寺、伏見稲荷大社、城南宮、平等院、三室戸寺、京都水族館、坂本龍馬、豊臣秀吉も!新幹線チケット予約、格安高速バス予約等の情報もご案内致します。
Movable Type 3.34
地主神社の人形祓い
tag:kyoto.taishoro.com,2013://7.2837
2013-08-27T02:01:44Z
2014-11-04T09:14:31Z
縁結びの神様で知られる京都の地主神社境内に、悪運を祓う人形祓い(ひとがたばらい)...
木の桶に水が張られ、その中に溶けた人形が浮いています。
奈良時代には宮廷でも行われていた由緒ある魔除けのお祓い。人形祓いの神事には、古来より人々の願い事を叶えてきた歴史があります。古式ゆかしいお祓いの儀式に、現代の若者たちが群がります。]]>
人形祓いの人形(ひとがた)。
奉納料は1体200円のようです。
自分の分身となってくれる人形ですから、丁重に扱いたいものです。
清水寺の舞台から地主神社へと通じる場所に、芙蓉と思しき蕾が見られました。
地主神社の境内はいつも若い女性で賑わっています。恋愛成就の神様として、その人気は日本国中に広まっているのではないでしょうか。日本屈指の観光スポットである清水寺に隣接する立地条件も、その知名度を後押ししています。
人形祓いの案内板。
外国人観光客も数多く訪れる地主神社とあってか、ちゃんと英語表記もなされています。
dissolve in water の文字が見えますね。
紙が水に溶けたら、願い事が叶うといった意味合いでしょうか。辞書を紐解いてみると、「砂糖は水に溶ける」を 「 Sugar dissolves in water. 」 と表現します。地主神社の人形は、どうやら水に溶ける素材の紙で作られているようです。
とろっとした感じに溶けていますね。
逆に溶けない場合もあるのでしょうか?
科学的に考えるならば、まずはあり得ない現象なのかもしれませんが、そこはやはり普段の行いが悪ければ、溶けないこともあるかもしれないとする方が面白いのかもしれません(笑)
地主神社ではすっかりおなじみの恋占いの石。
縁結びを願う時もあれば、縁切りを願う時もあります。
縁切り神社の安井金比羅宮はあまりにも有名ですが、地主神社で縁切りを祈願するなら、人形祓いに願いを託してみてはいかがでしょうか?
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清水寺の馬駐
tag:kyoto.taishoro.com,2013://7.2834
2013-08-26T02:25:30Z
2014-10-08T00:19:33Z
清水寺の馬駐(うまとどめ)をご案内致します。 清水寺仁王門の向かって左側に、室町...
室町時代の重要文化財である馬駐があります。
清水寺の馬駐。
以前に清水寺を参拝した時には見落としていたのですが、2010年に解体全面修復された馬駐がひっそりと佇んでいました。馬駐(うまとどめ)と言うからには、馬の駐車場のような役割を果たしていた建物であることが伺えます。
仕切りが見えますよね。
五頭の馬を繋ぐことができたようで、その規模からも貴重な遺構として今に伝えられます。]]>
正面およそ10.5m、側面5m強のサイズを誇ります。
応仁の乱後に再建された清水寺の馬駐からは、清水寺参拝の際に数多くの馬を繋いできた歴史が垣間見えてきます。紅葉で知られる成就院や寺務所へ向かう坂道の手前に、清水寺の歴史を映す遺構があることをご存知の方はそう多くはないのではないでしょうか。
清水寺仁王門の手前、向って左側の狛犬の背後に馬駐はあります。
お寺の門前に「下馬」と書かれたお札をよく見掛けますが、ここで馬を下りて参拝して下さいという案内を意味しています。ちなみに「下馬評」という言葉は、下馬札の近くで主人の参拝帰りを待つ従者たちの四方山話に端を発します。
清水寺の馬駐周辺でも、様々な噂話が飛び交っていたことでしょう(笑)
清水寺の狛犬はどちらも口を開けた阿形のスタイルです。「阿吽の呼吸」で、口を閉じた吽形の狛犬が片方に配されるのが普通ですが、両方とも口を開けているのは珍しい形です。清水寺の七不思議の一つに数えられているのも頷けますね。
清水寺の七不思議といえば、馬駐もその一角を担っています。
馬の手綱を繋ぐ金具の向きが二箇所だけ違っているようです。取り付けの向きが違うということで、逆鐶(さかさかん)と呼ばれています。意図的な設計か否か、今のところ定かな理由は分かっていません。
清水寺の舞台。
長年の風雪に耐えてきた清水寺の舞台も、いよいよ修理工事に入っていきます。
門前のお土産物屋さんの試食コーナーで京都名物のおたべを頂きました。
この場所は日本屈指の観光スポットです。
修学旅行生や外国人観光客など、ひっきりなしに参拝客が行き交う賑やかな場所です。
そんな場所の間近に馬駐があるとは、案外知られていない事実なのかもしれません。
大概の参拝客が仁王門をくぐって、そのまま真っすぐ国宝の舞台へと向かうのが常です。時には参拝ルートを外れてみるのも、面白い発見があっていいかもしれません。
馬との関わり無しには語れない日本の歴史。
願い事を書く絵馬にも、生きた馬の姿が見え隠れします。神馬と呼ばれる馬が、神社に奉納されているのをよく見掛けますが、馬はそれだけ貴重な存在であったことがうかがえます。結婚式の引き出物の語源にも、当時の宝物であった馬が関係していますよね。
清水寺参拝の際には、重要文化財に指定されている馬駐を見ておかれることをおすすめ致します。
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永観堂の盛砂に七不思議を見る
tag:kyoto.taishoro.com,2013://7.2797
2013-07-11T02:52:33Z
2014-11-04T09:15:52Z
紅葉の名所として知られる永観堂の釈迦堂前庭に佇む盛砂。 天皇の使いが出入りしてい...
山城国一之宮の上賀茂神社の盛砂です。上賀茂神社の三角形の盛砂とはまた趣を異にする市松模様の美しい盛砂が参拝客の目を惹きます。
永観堂の盛砂。
日本料理の世界でもよく見られる市松文様が見事に描かれています。瑞紫殿の中のビデオ上映でも盛砂が維持される様子を拝見することができます。雨や風で乱れてしまった盛砂を元通りに戻す作業を繰り返す僧たち。]]>
盛砂と永観堂唐門。
「砂上の楼閣」という言葉があるように、砂ははかないものの例えとしてよく使われます。盛砂の形を整えても、またすぐに崩れてしまうのは目に見えています。それが故にどこか修行の匂いを感じさせるのかもしれません。
釈迦堂前の廊下を僧侶が足早に立ち去って行きます。
勅使門盛砂は光る砂として、永観堂の七不思議の一つに数えられます。抜け雀、火除けの阿弥陀、悲田梅、三鈷の松等々と並んで永観堂の見所の一つとされます。光る砂とは一体どういうことなのでしょうか?
盛砂の脇に案内板があり、そこに「あかり取り」の文字が見えます。
小判型に盛られた白砂は勅使の身を清めると同時に、夜の月灯りを反射する役目も担っていたようです。夜の暗闇を照らす盛砂の情景が頭に浮かびます。なんともロマンチックですね。
釈迦堂の縁側から唐門を望みます。
唐様式の門が実に美しく映えます。現在の唐門(勅使門)は江戸時代後期の再建で、今日では永観堂禅林寺の住職が遷化(逝去)された時のみに使われています。
私が永観堂を参詣したのは6月末で、七夕の短冊が盛砂の傍らに掛かっていました。
「復興」の願いが込められます。
唐門と相対する永観堂の釈迦堂(方丈)。
室町時代に建立された釈迦堂は本格的な書院造りとして知られます。
6間から成る釈迦堂は、それぞれに「松鳥図」や「群仙図」などの華やかな襖絵で飾られています。虎の間の「竹虎図」などは今にも飛び出してきそうな躍動感にあふれています。
釈迦堂前のこの空間でゆっくりと流れる時間を楽しむ。
大玄関やおトイレにも近く、永観堂の中でも最も人の往来が感じられる場所ではないでしょうか。盛砂を前にして、じっくりと目を凝らして鑑賞する外国人観光客の姿が印象的でした。
月の光に応えるように周りを明るくする盛砂。
清めの砂が天に呼応して、人の前を照らします。永観堂の盛砂に感じられる天と地と人のつながり。
永観堂の盛砂の案内板。
永観堂の歴史は平安時代にさかのぼります。
案内板に書かれた”あかり取り”の文字を見て、実際に月光に照らされる盛砂をこの目で見てみたいなと思った次第です。拝観時間のことを考慮すれば、やはり通常は難しいのかもしれませんね。秋の夜間ライトアップのシーズンが狙い目なのかもしれません。
永観堂を訪れたなら、釈迦堂と唐門の間に位置する盛砂に注目してみましょう。
もろさを内に秘めながらも、その整然とした姿に魅了されること請け合いです。
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蓑亀を八坂神社境内に見る
tag:kyoto.taishoro.com,2013://7.2793
2013-07-07T23:58:57Z
2014-11-04T09:26:54Z
祇園祭直前の6月29日、京都の八坂神社へ詣でて参りました。 日本を代表する伝統的...
八坂神社本殿に、尻尾の長い蓑亀の姿が見られました。
甲羅に藻を生やし、まるで尻尾のように伸びた蓑亀(みのがめ)は「長寿」を象徴する縁起物とされます。平時にはこの場所に飾られていなかったことを思うと、やはりこの蓑亀は祇園祭をお祝いするものなのでしょうか?]]>
舞殿の西側に茅の輪が設けられていました。
上半期の穢れを祓う神事として知られる茅の輪くぐり。多くの参拝客が記念写真を撮りながら、喜々として茅の輪をくぐっておられました。地元の大神神社の茅の輪に比べれば、随分小振りな茅の輪ではありますが、そこはやはり京都八坂神社の茅の輪です。くぐり抜けておくに越したことはないと思い、私も僭越ながらくぐらせて頂きました(笑)
祇園の町並みもすっかり夏模様です。
7月の一ヶ月間は祇園祭一色に染まります。
町家ならではの犬矢来が京都の風情を誘います。
舞殿の横から八坂神社本殿を見ます。
暗闇に灯りをともすランプも設置され、いよいよお祭りムードが高まります。
八坂神社の西楼門を入った所に居る狛犬の台座にも、冒頭の蓑亀らしき姿が彫られています。
緑藻(りょくそう)亀とも呼ばれる蓑亀。
こんな場所でも、吉祥の蓑亀が私たち参拝客を出迎えてくれていたんですね。
ここに提灯が掛けられるんですよね。
数年前の7月に八坂神社を訪れた際、祇園祭の準備風景を目の当たりにした記憶が蘇ります。
疫病退散にその起源を持つ京都の祇園祭。
祇園界隈に住む人たちは、蓑亀に長寿の願いを託していたのでしょうか。鶴は千年、亀は万年と昔からよく言いますが、藻をまとった亀の存在を知る人はそう多くはないのではないでしょうか。
八坂神社を観光ルートに組み入れている旅行客は多いものと思われます。
この機会に是非、蓑亀の姿を確認しておきましょう。
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永観堂の三鈷の松
tag:kyoto.taishoro.com,2013://7.2789
2013-07-04T02:06:36Z
2019-09-11T03:47:15Z
永観堂の拝観受付で拝観料を納め、パンフレットを手にしながら中門をくぐり、いざ境内...
永観堂の三鈷の松。
小さなお土産物屋の中に入ってみると、永観堂名物の三鈷の松が置かれていました。どうやら無料で配られているようです。かなり長い松葉だったため、残念ながら私は遠慮させて頂きましたが、鞄を持参しておられた参拝客の方々が珍しそうに手にしていらっしゃいました。]]>
弘法大師を祀る御影堂の裏手に鎮まる三鈷の松。
御影堂から位牌堂へと上がるエレベーターの手前にあり、龍の体内を思わせる臥龍廊もすぐ傍らに通っています。
永観堂のご本尊・みかえり阿弥陀を祀る阿弥陀堂。
三鈷の松は葉先が三つに分かれているのが特徴です。その古木の意味するところは、智慧・慈悲・まごころであるとされます。三鈷の松の松葉を持っていると、三つの福を授かると言い伝えられます。
下に落ちている松葉を確認してみます。
確かに葉先が三つに分かれていますね。
注意書きも見えますね。
ご利益に授かれるからと、決して下に降りて拾ってはなりません。
三鈷の松の「鈷」という字ですが、一体何を意味しているのでしょうか。
「鈷(こ)」とは「股」の借字で、仏具の一つです。元来は武器であった銛(もり)の変化したものであり、密教においてはその形を象徴化し、悟りを妨げるものを追い払う意味合いがあります。密教道具の独鈷、三鈷杵、五鈷杵等々に見られますね。
三鈷の松の右側に、花頭窓の付いた比較的新しい建造物が見えますが、この建物が御影堂から位牌堂、本堂の阿弥陀堂へと続くエレベーターです。
昨今の神社仏閣ではユニバーサルデザインが各所で進められており、永観堂の車イス用のエレベーターもそういった時代の流れに応じて作られたものではないでしょうか。
三鈷の松の立札。
松葉といえば普通は二つに分かれているものです。
日本料理の世界でも、人参や大根を松葉の形に飾り切りすることがよくあります。永観堂の三鈷の松のように、先が三つに分かれた松葉が存在するとは思ってもみませんでした。
阿弥陀堂へ上がっていく階段の手前に手水舎がありました。
綺麗な紫陽花の花が咲いています。
幹の部分にも松葉が絡み付いています。
松ヤニの為せる業なのでしょうか?
画仙堂の手前にお地蔵さんがいらっしゃいました。
三鈷の松にも通じる「智恵」と「慈悲」と書かれていますね。
学生時代に「知情意」の大切さを説かれたことを思い出します。
三鈷の松の説く智慧、慈悲、まごころに照らし合わしてみるならば、最後の「意」はどれに相当するのだろう?と疑問に思ったりもするのですが、皆さんはどう思われますでしょうか。
落ち葉が気になって、木の下を注意してよく見てみると、それはそれはあちこちに葉先が三つに分かれた三鈷の松を視認することができます。永観堂参拝の際には、三鈷の松の落ち葉探しも面白いかもしれませんね。時間を忘れて夢中になってしまいます(笑)
南禅寺や銀閣寺にも程近い場所にある永観堂禅林寺。
縁起の良い三鈷の松をお目当てに、一度お参りされることをおすすめ致します。
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仏手柑の花が開花する永観堂
tag:kyoto.taishoro.com,2013://7.2785
2013-07-02T00:01:32Z
2014-11-04T09:29:05Z
永観堂禅林寺の中門脇に仏手柑の花が咲いていました。 蜜柑科常緑低木の仏手柑(ぶっ...
永観堂に開花する仏手柑。
仏手柑といえば、仏手柑飴として販売されていた奈良の新薬師寺や、ホテル本能寺の玄関先を飾っていたことを思い出します。衆生に救いの手を差し伸べる千手観音を思わせるその出で立ちに、数多くの観光客が立ち止まります。]]>
やはりインパクトがあります。
何かを鷲づかみにするような、ほとばしる生命力のようなものを感じます。
永観堂中門。
中門の手前には拝観受付が見えます。門の両脇には、どこかエキゾチックな白い狛犬が陣取っています。さすがに京都を代表する観光名所とあってか、数多くの外国人観光客の姿が見られます。
こちらが仏手柑の花の蕾(つぼみ)。
薄らとピンク色がかっていて、どこか桃のようにも見えますね。
開花のタイミングを待つ蕾には、尊い命の輝きがぎっしりと詰まっています。
五枚の花弁が綺麗に開いています。
お寺でよく目にする仏手柑ではありますが、花が咲いているところを見るのは今回が初めてでした。6月の末頃ということで、時期的にもちょうど開花のタイミングと重なったようです。
永観堂の本堂右手前に咲く紫陽花。
ご本尊のみかえり阿弥陀が祀られる阿弥陀堂(本堂)の脇に梅雨を謳歌する紫陽花が咲いていました。紅葉で有名な永観堂ではありますが、仏手柑や紫陽花など、意外な花々との出会いに心が躍ります。
永観堂の臥龍廊(がりゅうろう)。
山の斜面に沿って、龍の体を思わせる ” うねり ” を持たせた廊下が設けられています。
京都東山の高台寺にも、開山堂と霊屋を結ぶ臥龍廊があったのを思い出します。廊下の屋根が龍のうろこを想像させる造りでしたが、龍ならではのうねり具合から言うと、永観堂の臥龍廊の方に軍配が上がるような気が致します。
仏手柑の花。
思わぬご褒美を貰ったような気分です。
永観堂を象徴する多宝塔の写真が廊下の曲がり角に飾られています。
境内の奥へと登り詰めた場所に建つ多宝塔。多宝塔の前に立つと、京都市街の京都ホテルオークラなどの建物を望むことができます。
仏像の宝庫でもある京都。
首を少し左にかしげ、振り向きざまの格好をした永観堂禅林寺のご本尊は「みかえり阿弥陀」と呼ばれ親しまれています。永観堂境内の瑞紫殿には、火難を逃れた火除けの阿弥陀も安置されています。
永観堂から徒歩数分の距離にある南禅寺水路閣。
京都の数ある観光ルートの中でも、南禅寺と永観堂をセットにして考える人は多いのではないでしょうか。永観堂から東山中学・高校の賑わいを抜けてしばらく歩を進めると、その巨大な三門で知られる南禅寺へとアクセスします。
永観堂の拝観料は600円。
永観堂へのアクセスは、JR京都駅から市バス5系統「南禅寺・永観堂道」下車、徒歩3分。あるいはJR京都駅から市バス100系統で「東天王町」下車、徒歩5分となっています。
京阪電車をご利用の場合は、京阪三条駅から市バス5系統で「南禅寺・永観堂道」下車、徒歩3分の道程です。
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北野天満宮御旅所の御輿岡神社
tag:kyoto.taishoro.com,2013://7.2640
2013-01-28T01:08:42Z
2018-02-03T03:22:47Z
JR嵯峨野線円町駅から徒歩で龍安寺へ向かう途中、妙心寺通沿いに「北野神社御旅所」...
御輿岡神社(みこしがおかじんんじゃ)。
御旅所の鳥居をくぐって境内の左奥へ歩を進めると、そこにはお神輿の神社にふさわしい名前の「御輿岡神社」が鎮座していました。魂振りの所作にも通じると言われるお神輿。私も小さい頃、近くの神社のお神輿を担いで町内を回った記憶があります。秋祭のシーズンが近づくと、どこからともなく聞こえてくる「ワッショイ、ワッショイ」の掛け声に心が弾んだものです。
北野天満宮の創建前から、この辺りは神楽岡(かぐらおか)と呼ばれる大きな森林であったと伝えられます。それから歴史は下り、初めて北野天満宮の神輿がこの場所に渡御したことから、御輿岡神社と呼ばれるようになりました。御輿岡神社は、北野天満宮の境内外末社になります。]]>
北野天満宮といえば菅原道真。
道真公といえば梅の御紋で知られます。北野神社御旅所の狛犬の下にも梅の御神紋が見られます。菅原道真生誕の地と伝えられる菅原院天満宮神社が烏丸通沿いにありますが、ここ京都は道真公にとっても所縁の深い場所と言えそうです。
妙心寺通沿いに建つ御旅所の鳥居。
毎年10月1日から4日にかけて、北野の神がここ西ノ京の御旅所に迎え入れられます。
ずいき御輿といって、里芋の茎であるずいきを神輿の屋根に葺いたお神輿が登場します。ずいきの他にも、色々な種類の野菜を材料に組み立てられたお神輿は、ずいき御輿ならではのものを感じさせます。秋祭ということで収穫に感謝する意味合いが込められており、京都を代表する伝統行事の一つとして知られます。
龍安寺石庭を鑑賞することが目的の今回の京都散策でしたが、ひょんなことからお神輿にまつわる神社に参拝することになり、改めて京都の歴史の面白さに感じ入った次第です。
御輿岡神社の祭神が案内されています。
土地の守り神である大巳貴命、医薬・病気平癒の神である少彦名命、学徳成就の神である菅原大神が祀られています。
北野天満宮御旅所の境内。
ずいきをはじめとする野菜で作るお神輿。とても独創的なアイディアですよね。
10月といえば神無月です。北野の神様も出雲の地へ出向かれるのでしょうか?10月初旬のずいき祭が終わってから、全国各地の神々が集まると言われる出雲へ出発されるのかもしれませんね。
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佛光寺下り藤を仏光寺境内に見る
tag:kyoto.taishoro.com,2013://7.2636
2013-01-24T02:31:27Z
2013-01-24T03:49:49Z
京都の繁華街である四条通を南へ下ると、仏光寺通という通りが東西に走っています。そ...
浄土真宗佛光寺派の本山があります。賑やかな通りから一歩入ると、そこに歴史を感じさせるお寺が佇んでいる。いかにも京都らしい、ちょっとした穴場を感じさせる観光スポットです。
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仏光寺藤とも呼ばれています。
佛光寺の漢字表記ですが、通りの名前が仏光寺通で、お寺の名前は佛光寺と書くのが正しいようです。
龍の居る手水舎から阿弥陀堂を望みます。
阿弥陀堂には、佛光寺ご本尊の阿弥陀如来が安置されています。
藤紋は佐藤、伊藤、近藤さんなどの藤の付く苗字の家紋に多く見られますが、藤紋を大別すると、上向きの上り藤と下向きの下り藤に分けられます。歴史的には下り藤の方が古く、格式の高さがうかがえます。一方の上り藤は後で作られたため、運の上昇が祈願されていると言われます。
佛光寺の御正紋は、ご覧の通りの下り藤です。
手水舎の後ろに目をやると、「佛光寺一山 文化財レスキュー器材」と書かれた紙が貼られていました。
どうやら京都市による文化財防火運動のお知らせのようです。
境内の至る所に「佛光寺下り藤」の御紋が見られます。
佛光寺の歴史は、親鸞上人が流罪の後に、京都の山科に一宇を構えたことに始まります。親鸞上人の記念すべき再出発に深く関わる佛光寺。そう考えるだけでも、大変歴史的に意義深いものを感じます。
阿弥陀堂の東に佇む大師堂。
親鸞上人坐像が収められているお堂です。
僧に非ず、俗に非ずの非僧非俗の考えを実行に移した親鸞上人。僧として初めて妻を娶ったことでも知られます。ともすれば誤解されがちな他力本願の教えには、苦しみ抜いた親鸞の悟りの境地が垣間見えます。
佛光寺の近くには、人気ホテルのホテル日航プリンセス京都があります。
京都の一大観光エリアである東山にも程近く、京都を徒歩で満喫するならおすすめのホテルです。
佛光寺の山号は渋谷山と言います。
渋谷という地名は、東京の渋谷もそうなんですが、起伏に富んだ土地をイメージさせます。山あり谷あり、とでも言うのでしょうか。周辺には坂道もたくさん見られるような場所に渋谷という地名が多いように思われます。
現在の佛光寺周辺は、どう見ても平地です。
この山号はおそらく、親鸞が再出発の地に選んだ山科の地に由来するのではないでしょうか。あくまでも個人的見解に過ぎませんが、どうもそのような気がするのです。
六葉の意匠にも、佛光寺の寺紋である佛光寺下り藤がデザインされていますね。
鑑賞に堪え得る細部のデザインは、寺社参拝の楽しみの一つでもあります。
佛光寺御影堂門。
切妻四脚門に造られており、扉や脇、腰の各所に美しい彫刻が見られます。
京都市下京区に位置する佛光寺の地図をご案内致します。佛光寺参拝の際は、どうぞご参照下さい。
大きな地図で見る
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広隆寺地蔵堂の腹帯地蔵
tag:kyoto.taishoro.com,2013://7.2634
2013-01-23T01:57:23Z
2013-01-23T03:01:54Z
仏教において迷える者が輪廻すると言われる六道の世界。 天上、人間、修羅、畜生、餓...
六道の世界。
天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄の世界を往来している私たち。今は人間道の世界において生かされているわけですが、生前の行いによっては、死後に地獄道へ落ちる可能性もあるわけです。そんな六道の全ての世界に通じているのが地蔵菩薩です。
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地蔵堂の中には腹帯地蔵が安置されています。
腹帯という言葉から、奈良の帯解寺を想像します。
帯解寺は安産祈願に訪れる参拝客が絶えないお寺として知られますが、どうやら広隆寺の腹帯地蔵にも安産の御利益があるようです。弘法大師空海が作ったとされる腹帯地蔵ですが、地蔵堂の正面に開けられた拝観口から中を覗くことができます。
広隆寺地蔵堂に収められた腹帯地蔵。
金網越しではありますが、そのお姿を拝観させて頂くことができます。
如来になる前のお姿を表現しているとされる菩薩。
その菩薩の中でも、どちらかと言えば地味な存在の地蔵菩薩様。煌びやかな装飾品を身に付けた観音菩薩が王子様的存在だとすれば、頭を丸めて行脚する地蔵菩薩はより庶民に近い存在と言えるのではないでしょうか。
地蔵堂前から、北の方角に広隆寺の本堂を望みます。
本堂の右手前に見えているのは手水舎ですね。その向こう側に、秦河勝由来の太秦殿が鎮まります。
私たち庶民がどこへ行こうとも、その先々で救いの手を差し伸べて下さるお地蔵様。これほどまでに有り難い存在は他にないのではないでしょうか。
奈良の長谷寺の観音菩薩様は右手に錫杖(しゃくじょう)をお持ちになられています。仏像の持物(じもつ)の一つに数えられる錫杖ですが、本来は観音菩薩の持物ではなく、諸国を行脚する地蔵菩薩の持物であると言われます。より庶民に近い場所まで降りて来て救いの手を差し伸べる長谷観音の姿は、そのまま地蔵信仰の根強さを物語っているような気が致します。
広隆寺を訪れたのは、年の瀬も押し迫った12月末頃のことでした。
地蔵堂の前に芽吹きを待つ木が植えられていたのですが、何の木なのかその時は分かりませんでした。家に帰ってからウェブで検索していると、どうやらそれが不断桜の木であったことが判明致しました。普段着の京都さんのブログを拝見して、改めて広隆寺への思いを新たにしています。
広隆寺の新霊宝館。
新霊宝館へ上がる階段の脇に、唐草文様のようなデザインを見つけました。
孫の手の形に似た如意棒のようでもあります。
綺麗なお顔立ちでいらっしゃいます。
京都観光で六道の世界を身近に感じるには、清水寺から西の方向に位置する六道の辻がおすすめです。六道珍皇寺の六道まいりに参加すれば、あの世との境界線を体験できるかもしれません。
六道を巡る菩薩であるお地蔵さん。
こうやって人間界で出会わせてもらっているお地蔵さんですが、次はどの世界でお会いすることになるのでしょうか。そんなことをぼんやり考えながら、広隆寺の腹帯地蔵様と向き合うのでした。
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皐月鶴翁が描いた龍と金剛山
tag:kyoto.taishoro.com,2013://7.2624
2013-01-18T01:35:16Z
2020-03-10T01:47:48Z
石庭で有名な龍安寺の方丈に、南画家の皐月鶴翁が描いた襖絵があります。 襖絵の題材...
龍安寺の方丈に、南画家の皐月鶴翁が描いた襖絵があります。
襖絵の題材に使われた龍と金剛山。
龍安寺が臨済宗妙心寺派の寺院であることを思うと、襖絵に龍が描かれていることは納得がいきます。しかしながら、なぜ北朝鮮にそびえる金剛山が描かれているのでしょうか。
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こちらが金剛山でしょうか。
実は作者の皐月鶴翁は、十八回にも渡って金剛山へ足を運んでいます。金剛山への憧憬が、襖絵に金剛山を描く動機になっていたものと思われます。
京都生まれの皐月鶴翁ですが、北朝鮮の金剛山から何かメッセージを感じ取っていたのかもしれません。
方丈は龍安寺石庭の前にあります。
参拝客は方丈を背にして石庭に見入ります。普段は石庭に目を奪われがちで、方丈の中の襖絵にまで目が行かない人も多いものと思われますが、視点を変えると新たな発見を楽しむことができるかもしれません。
方丈の中へ入ることはできませんので、回廊と座敷の間に低い衝立のようなものが立てられていました。間仕切りの手前から襖絵を鑑賞することになります。
龍安寺の方丈は、1700年代後半に火災による焼失の憂き目に遭っています。その後、塔頭の西源院の方丈を移築して現在に至ります。美味しい湯豆腐のお店で知られる西源院ですね。方丈を拝観した後、鏡容池の周りを巡るように帰路に着くわけですが、その途中に西源院の脇を通ることになります。
龍安寺方丈。
私が龍安寺を訪れた時も、数多くの外国人観光客の方々とすれ違いました。
欧米人の観光客が、東洋的思想に裏打ちされた龍安寺の石庭に見入ります。その静かな姿を見ながら、私たち日本人も静かな時間を楽しみます。龍安寺の方丈前には、全ての価値観をつなぐ輪のような物が垣間見えます。
龍の足の向こうに金剛山の絵が見えます。
世界から孤立する北朝鮮の現状を思うと、皐月鶴翁の描いた金剛山にも違った意味が加味されていくのを感じます。何かを鷲づかみにしようとする龍の足。そこには、あらゆる願い事を叶えてくれると言われる如意宝珠がよく似合います。宝の珠を鷲づかみにした龍が、急峻な金剛山を超えて行こうとしている。そんなイメージが頭の中に湧いてくるのを覚えました。
金剛山の襖絵には、何か文字が書かれていますね。
金剛山への賛辞でしょうか?
残念ながら襖絵に関する案内板が見当たりませんでしたので、詳細に関しては不明です。
龍安寺の池泉回遊式庭園を通って、拝観受付のある山門へと戻ります。
同じ禅寺である建仁寺の襖絵にも感銘を受けましたが、まだ新しいとは言え、龍安寺の襖絵にも一見の価値があります。
龍安寺の拝観料は500円。
アクセスは市バス龍安寺前下車すぐとなっています。私は今回、京都市街の散策も楽しみたいと思い、JR円町駅から龍安寺まで徒歩で歩いたのですが、純粋に龍安寺参拝を旅の目的にされている方には、市バスでのアクセスをおすすめ致します。
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仁和寺中門の多聞天が持つ宝塔
tag:kyoto.taishoro.com,2013://7.2620
2013-01-16T04:32:27Z
2013-01-29T00:38:39Z
宝塔とは、釈迦の骨である仏舎利を納めた塔のことを意味します。菩薩や天部の持ち物と...
仁和寺中門の多聞天立像の左手に、その宝塔が見られました。
五重塔の一番上の層を思わせる宝塔。
お寿司のシャリの語源は、仏舎利にあると言われますが、ツヤのある美味しそうなシャリを見ると、日本人なら誰しも有り難い気持ちになるのではないでしょうか。お釈迦様の象徴である舎利を納めた宝塔は、仏敵に対するお守りとしては何よりも強力であるに違いありません。
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毘沙門天という名前で呼ばれます。
戦いのイメージが強い神様ですが、福徳神としても広く慕われています。
重要文化財に指定されている仁和寺中門。
きぬかけの路沿いに建つ仁王門から真っすぐ北へ向かうと、寛永年間に再興された朱色の中門が見えてきます。仁王門から中門まで歩くのにも結構な距離があり、仁和寺の寺域の広さが窺い知れます。
多聞天に踏み付けられる邪鬼。
邪鬼の前にも、名の知れぬ仏像が中門を守護しています。下敷きになった邪鬼はどこか滑稽ですらあります。あなたもこうなるよ、という一種の「見せしめ」のようにも感じられます。
仁和寺の中門を抜けると、左側に御室桜が植えられています。
丈が低く、開花時期が遅いことで知られる御室桜。満開の時期に来てみたいものだなと思います。仁和寺といえば御室桜。名所案内では必ずと言っていいほど紹介される、京都観光の定番です。
中門向かって右側に立つ持国天。
「国を支える者」を意味する持国天は、東の方角を守護する仏神です。
仁和寺中門の持国天立像も、手に戟を持って威嚇しています。お寺の本堂の中では、ご本尊様の右手前におられる持国天。続いて左手前が増長天、左奥には広目天、右奥には多聞天が陣取ります。仏堂の中ではそのような位置関係ですが、こちらの中門では、東に持国天、西に多聞天が立っています。
持国天立像の足元にも、ユーモラスな邪鬼の姿が見られます。
長い年月に渡って守り続けられてきた仏の世界。四天王の存在無くしては、成し得られなかったことなのかもしれませんね。こんな言い方をしては失礼に当たるのかもしれませんが、番犬的な存在感を感じさせます。
けたたましく吠える犬が居る家には、盗人も盗みに入りづらいものです。
中門を入ってしばらく進むと、右手に五重塔が見えて参ります。
卒塔婆にも通じる五重塔。
仏舎利を納める場所として君臨する五重塔は、お寺のシンボル的存在でもあります。宝塔を手にする中門の多聞天が、この上なく心強い存在に思えてきました。
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東映太秦映画村団体入口と二条城の大手門
tag:kyoto.taishoro.com,2013://7.2618
2013-01-15T01:32:38Z
2018-02-01T23:36:40Z
広隆寺仁王門の右手のなだらかな坂道を上って行くと、時代劇でおなじみの東映太秦映画...
修学旅行に訪れた学生さんなら、一度は映画村に入村された体験をお持ちではないでしょうか。
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二条城の大手門を模して造られています。その名も、「東映城大手門」と言います。私は奈良県民ですが、小学生の頃に子供会で東映太秦映画村を訪れたことがあります。おぼろげな記憶ではありますが、その当時はまだこの門は無かったような気が致します。
団体入口として利用されている大手門は、1977年に完成しています。
横長に広がる映画村入口の左手に位置し、レストランなどの入ったパディオスの向かって左側にあります。時代劇の撮影が行われる際は、そのままオープンセットとして利用されることもあります。
映画村の前にはバス停があります。
四条河原町や三条京阪などへアクセスしています。京都を周遊する際、太秦方面は少しアクセスには不便だと感じている人も多いのではないでしょうか。地図を見ると、タクシー乗り場もあり、JR嵯峨野線も通っています。太秦映画村へは、JR山陰本線(嵯峨野線)の太秦駅から徒歩5分でアクセスすることができます。意外と便利な立地であることが分かります。
妙心寺に近い花園駅からでも、西へ10分余り歩けば映画村に辿り着きます。周遊観光という観点から言っても、妙心寺、映画村、広隆寺、蚕の社辺りはじゅうぶんに徒歩圏内で楽しむことができます。
団体入口から入る団体客様向けには、団体割引が適用されます。
修学旅行で訪れる学校団体であれば、中高生が1,000円で、3歳以上の子供が800円となっています。個人の入場料が大人2,200円、中高生1,300円ということを考慮すれば、学校の先生にも嬉しい割安な設定ではないでしょうか。
大手門には何やら大砲のようなものがディスプレイされていました。
東映太秦映画村では、修学旅行生向けに京都伝統工芸体験のサービスが用意されています。清水焼の絵付体験、京うちわや京扇子の手描き体験、万華鏡の手づくり体験などが楽しめます。さらには木刀を使った殺陣講座などもあり、本格的な立ち回りを体験することができます。
チャンバラごっこならしたことはあっても、本格的な殺陣となると、さすがにどなたも初体験ではないでしょうか。修学旅行生にとっては貴重な思い出になることでしょう。
幕に描かれているのは、太秦映画村のオフィシャルキャラクター「かちん太」。
昭和55年の1980年に誕生した公式キャラです。かちん太の名前の由来は、映画撮影時に使われるカチンコにあるわけですが、股旅姿の旅ガラスが実によく映画村にフィットしています。
時代を反映してか、昨今ではかちん太の妹役に、萌えキャラで知られる「からす天狗うじゅ」も登場しています。ツインテールの髪型で、秋葉原や日本橋でウケそうなキャラクターなのですが、なぜか映画村でも人気を博しているようです。
なぜ二条城をモデルにしたのか?
その理由までは分かりませんが、JR嵯峨野線には二条駅という駅もあります。映画村へのアクセスに嵯峨野線を利用する際には、二条城近くの二条駅を経由することになります。場所的に近いことから、団体入口に二条城の大手門を模したゲートが造られたのかもしれませんね。
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二引きに桜が寺紋の仁和寺
tag:kyoto.taishoro.com,2013://7.2605
2013-01-06T01:20:00Z
2013-01-06T02:34:56Z
真言宗御室派の総本山である仁和寺の寺紋は「二引きに桜」とされます。 桜が紋に使わ...
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第59代宇多天皇が開山の仁和寺。
きぬかけの路沿いに佇むお寺で、金閣寺や龍安寺とセットで参拝される方も多いのではないでしょうか。
線を引いただけの、簡素で武骨な引両は武士に人気のあった紋として知られます。足利将軍家の紋としても有名です。引両の意味は、合戦のときに陣地を囲む陣幕からきていると言われます。
引両の漢字表記には数種類あって、「引龍」「引霊」「引領」などとも記します。
この内、引両の両は龍を表すというのが一般的な解釈として通っています。禅寺のお堂の天井に描かれる龍、水を司る龍神信仰など、昔から龍に対する人々の憧憬にはひとかたならぬものがあります。
国宝に指定される仁和寺金堂。
画竜点睛といえば、物事を完成させるための最後の仕上げを意味しますよね。
画竜点睛の「睛」はひとみを意味します。目を描いて魂を込める、大切な最後の仕上げの作業です。
引龍の意味を解説する、画竜点睛にも似た逸話が残されています。
1333年に北条氏と戦っていた赤松円心。もはやこれまでと自刃を決意し、石清水八幡宮に向かって手を合わせます。その時、天のお告げが耳に響きます。
北条氏の家紋は鱗、一方の赤松氏は左巴。両方とも水を表していて勝負がつかないから、赤松方の左巴紋に龍を加えると勝利できるというものでした。お告げに従った赤松氏は奇跡的な勝利を収めたと伝えられます。
自分の家紋に龍を加えた。
そのことによって生命が漲り、パワーが倍増したのでしょうか?自刃をも覚悟した赤松円心が見事な勝利を収めたというエピソードです。それ以降、赤松家では「二引両に左巴」を紋と定めているようです。
仁和寺五重塔。
領地のボーダーラインを表す「引領」にも、戦のきな臭い雰囲気が漂います。
もう一つの解釈としての「引霊」には、太陽と月という意味合いが込められています。一つ引きの一本の場合は太陽の日精、二引きの二本の場合は月の月精を表します。引両には太陽と月、陽と陰の二極を表現する「引霊」という考え方もあるようです。
ご本尊の仏像の両脇侍として立つ日光・月光菩薩像には、昼も夜も、昼夜を問わずに仏の教えを守り抜く姿が表現されています。
仁和寺の寺紋は「二引きに桜」ですから、引霊の解釈では「月の月精」を表していることになります。
代々法親王が入寺する最初の門跡寺院でもある仁和寺。
開山の宇多天皇は譲位後に、ここで出家して居住しておられたところから「御室御所」とも呼ばれます。表舞台から退いた天皇の棲家であった場所です。何となく月のイメージが重なってくるような気が致します。
仁和寺の御室桜。
拝観させて頂いたのは1月初旬とあって、華やかな桜の姿をお見せすることはできませんが、この丈の低い桜の木が著名な御室桜です。
昼間の表舞台から退いた宇多天皇が、出家して暮らしていたと伝えられる夜間の裏舞台。二引きに桜の寺紋から、どうもそのようなイメージが形成されていくのを覚えます。あくまでも個人的見解ですので、定かなことは分かりませんが、色々と想像してみるのも歴史の醍醐味の一つではないでしょうか。
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JR嵯峨野線円町駅から龍安寺へアクセス
tag:kyoto.taishoro.com,2013://7.2602
2013-01-04T23:22:04Z
2013-01-29T00:39:57Z
京都の観光スポットはもう既に色々周遊してみたのですが、石庭で有名な龍安寺を拝観し...
JR山陰本線(嵯峨野線)も乗車未体験でした。京都駅で龍安寺や仁和寺へアクセスするためには、円町駅と花園駅のどちらが最寄り駅になりますか?と駅員さんにお尋ねしたところ、大体似たり寄ったりでその中間ぐらいとのご回答を頂きました。そこで、今回は京都駅に近い方の円町駅で下車することに致しました。
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JR嵯峨野線の円町駅。
円町駅のすぐ目の前を丸太町通が東西に伸びています。
丸太町通を西へ向かい、すぐに右折して北の方向へ歩いて行きます。徒歩で龍安寺へアクセスするにはさすがに少し距離がありますが、道中を楽しむのも旅の醍醐味です。
西大路妙心寺道へ出ると、北野神社御旅所の鳥居が左側に見えて参りました。
静かな境内へ足を踏み入れ、しばしの時間を過ごした後、再び龍安寺へ向けて歩き始めます。
京福北野線の北野白梅町駅を右に見て、線路の北側へ出ると、洛星中学や洛星高校のあるスクールゾーンへ入っていきます。聖ヴィアトール修道会などもあり、閑静な文化エリアが形成されています。
小松原町へ入って西へ進むと、立命館大学のキャンパスが見えて参ります。道路脇には、下宿の空室案内の看板が出ていたりして、いかにも ”大学の街” の雰囲気が漂います。キャンパスの中を通ってそのまま北へ進むと、金閣寺から連なるきぬかけの路へ出ます。
きぬかけの路。
もうこの辺りまで来ると、観光客の姿をあちこちで見かけます。
山裾を縫うように、緩やかなカーブを描きながら伸びる道は、仏像の衣紋をも思わせる美しさです。道沿いの車の往来が無ければ、もっと風情が出るのになと思った次第です。
龍安寺の石庭。
拝観料の500円を奉納して、名高き龍安寺の石庭を愛でます。
JR円町駅から徒歩で龍安寺にお参りする。不可能ではないことを実践で証明できたのではないでしょうか(笑)龍安寺拝観には市バスを利用する人が多いものと思われますが、また違った角度から楽しめる徒歩の旅のご案内でした。
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境内の片隅にある広隆寺の鐘
tag:kyoto.taishoro.com,2012://7.2598
2012-12-31T01:43:57Z
2012-12-31T02:38:51Z
嵐電に乗車して聖徳太子建立の広隆寺へ向かいます。 太秦広隆寺の駅を下りると、線路...
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講堂の横に柑橘類の実が成っていました。
広隆寺参拝に訪れたのは、暮れも押し迫った12月の末頃です。柚子をはじめとした柑橘類の美味しい季節ですが、境内に成るこの実は何の実なのでしょうか?
向こう側に鐘楼が見えていますね。
鐘楼の蛙股に注目してみました。
牛の上に乗った人が笛を吹いているのでしょうか?
これは京都の三大奇祭に数えられる太秦の牛祭を表しているのかもしれません。推測の域は出ませんが、蛙股に施されたデザインは、何かしら広隆寺に関係のあるものではないかと思われます。
鐘楼の近くには井戸のようなものも見られます。
結界の張られた井戸を見ると、普通の井戸でないことは誰の目にも明らかです。何を意味する井戸なのでしょうか?現在は境内から西の民家の中にある「イスラエルの井戸」と言われている、いさら井(伊佐良井)とも何か関係があるのでしょうか。
この井戸も講堂の裏手にあり、通常の参拝順路からは外れたルートの中に存在します。興味津津ですね。
広隆寺の鐘をよく観察してみると、法具の五鈷杵のようなデザインが見られます。
広隆寺の宗派は真言宗系単立ですから、密教法具が描かれていても不思議ではないということになるのかもしれません。
広隆寺の井戸と講堂。
講堂も重要文化財に指定される建物で、中には国宝の阿弥陀如来坐像が安置されています。
広隆寺のすぐ近くには、秦氏ゆかりの広隆寺鎮守・大酒神社や、時代劇でおなじみの京都太秦映画村などがあり、京都屈指の観光エリアを形成しています。
拝観料は必要になりますが、広隆寺の新霊宝殿には国宝第一号の弥勒菩薩半跏思惟像をはじめとする多数の仏像が収められており、仏像ファン必見の場所となっています。三十三間堂の仏像群にも圧倒されましたが、広隆寺の新霊宝殿に安置される仏像のオンパレードも一見の価値があります。
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