仏教において迷える者が輪廻すると言われる六道の世界。
天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄の世界を往来している私たち。今は人間道の世界において生かされているわけですが、生前の行いによっては、死後に地獄道へ落ちる可能性もあるわけです。そんな六道の全ての世界に通じているのが地蔵菩薩です。
広隆寺地蔵堂。
広隆寺南大門を入ると、正面に赤堂と呼ばれる重要文化財の講堂が出迎えてくれます。その左手に、参拝路を挟んでひっそりと佇む広隆寺の地蔵堂。地獄へ落ちた者にも手を差し伸べて下さるお地蔵様は、私たち庶民の強い味方です。
地蔵堂の中には腹帯地蔵が安置されています。
腹帯という言葉から、奈良の帯解寺を想像します。
帯解寺は安産祈願に訪れる参拝客が絶えないお寺として知られますが、どうやら広隆寺の腹帯地蔵にも安産の御利益があるようです。弘法大師空海が作ったとされる腹帯地蔵ですが、地蔵堂の正面に開けられた拝観口から中を覗くことができます。
広隆寺地蔵堂に収められた腹帯地蔵。
金網越しではありますが、そのお姿を拝観させて頂くことができます。
如来になる前のお姿を表現しているとされる菩薩。
その菩薩の中でも、どちらかと言えば地味な存在の地蔵菩薩様。煌びやかな装飾品を身に付けた観音菩薩が王子様的存在だとすれば、頭を丸めて行脚する地蔵菩薩はより庶民に近い存在と言えるのではないでしょうか。
地蔵堂前から、北の方角に広隆寺の本堂を望みます。
本堂の右手前に見えているのは手水舎ですね。その向こう側に、秦河勝由来の太秦殿が鎮まります。
私たち庶民がどこへ行こうとも、その先々で救いの手を差し伸べて下さるお地蔵様。これほどまでに有り難い存在は他にないのではないでしょうか。
奈良の長谷寺の観音菩薩様は右手に錫杖(しゃくじょう)をお持ちになられています。仏像の持物(じもつ)の一つに数えられる錫杖ですが、本来は観音菩薩の持物ではなく、諸国を行脚する地蔵菩薩の持物であると言われます。より庶民に近い場所まで降りて来て救いの手を差し伸べる長谷観音の姿は、そのまま地蔵信仰の根強さを物語っているような気が致します。
広隆寺を訪れたのは、年の瀬も押し迫った12月末頃のことでした。
地蔵堂の前に芽吹きを待つ木が植えられていたのですが、何の木なのかその時は分かりませんでした。家に帰ってからウェブで検索していると、どうやらそれが不断桜の木であったことが判明致しました。普段着の京都さんのブログを拝見して、改めて広隆寺への思いを新たにしています。
広隆寺の新霊宝館。
新霊宝館へ上がる階段の脇に、唐草文様のようなデザインを見つけました。
孫の手の形に似た如意棒のようでもあります。
綺麗なお顔立ちでいらっしゃいます。
京都観光で六道の世界を身近に感じるには、清水寺から西の方向に位置する六道の辻がおすすめです。六道珍皇寺の六道まいりに参加すれば、あの世との境界線を体験できるかもしれません。
六道を巡る菩薩であるお地蔵さん。
こうやって人間界で出会わせてもらっているお地蔵さんですが、次はどの世界でお会いすることになるのでしょうか。そんなことをぼんやり考えながら、広隆寺の腹帯地蔵様と向き合うのでした。