織田信長の家紋として知られる織田木瓜紋。
胡瓜の切り口を連想させるところから、木瓜(胡瓜)紋と呼ばれています。
本能寺にある織田信長のお墓「信長公廟」。
織田木瓜(おだもっこう)紋が見られますね。
唐花をモチーフにした美しいデザインの家紋です。
本能寺の本堂。
1415年(応永22年)の創建以来、幾度も火災の憂き目に遭ってきた本能寺。今の本堂は1928年(昭和3年)の再建になります。織田信長が最期を遂げた本能寺の変はあまりにも有名ですが、当時の本能寺は別の場所にあったようです。豊臣秀吉の都市改造政策により、寺町通りに数多くのお寺が集められた際、本能寺も今の場所に移ってきました。
信長公廟。
信長の先祖は、今の福井県に当たる越前国織田荘の出身です。
藤原の流れをくむ織田家の家紋は木瓜紋とされています。
そういえば、祇園祭で知られる八坂神社の神紋にも、胡瓜の切り口に似た神紋が使われていますよね。祇園祭の期間中、京都の人は潔斎のため胡瓜を食べない習慣があると聞きます。
本能寺の寺紋。
左が結び雁金、右が鶴の丸です。
織田家の家紋とは別に、本能寺の境内にはお寺の紋として、結び雁金と鶴の丸の寺紋があちこちに見られます。見ての通り、鳥の雁(がん)と鶴がデザインされています。
結び雁金(かりがね)の提灯。
雁金とはガン、ガンと鳴く雁の声~「雁音(かりがね)」を意味しています。
昔の戦では、雁の群れが乱れ飛ぶのを見て、敵兵の存在に気付いたと言われています。雁の群れが偵察部隊にもなっていたのですね。そんな史実から、縁起の良い動物とされ、家紋にも数多く取り入れられたものと思われます。
寺町のアーケード通り沿いに本能寺の門があります。
本能寺の「能」という字に注目してみると、右側のつくりの部分が「去」になっていますよね。これは度重なる火難に見舞われた本能寺の歴史を物語っています。
「ヒ(火)」が二つ重なった元の字では縁起が宜しくないという理由から、”火を去る” に掛けて「去」の字が使われているようです。
火災に弱い木造建築物のおまじないとして、天井画に水神の龍を描いたり、屋根の妻に魚の尾をデザインした懸魚をぶら下げたりと、昔の人は色々なゲン担ぎをしていたことが分かります。
織田木瓜紋。
本能寺の宗派は法華宗に属しています。
法華宗本門流の大本山「本能寺」。
権力志向の強い織田信長は織田木瓜紋の他にも、平家の揚羽蝶、永楽銭、二引両、五三の桐、金の唐傘などを家紋として用いていたようです。
時代を超えて支持される織田信長のお墓は、ここ本能寺に静かに眠ります。