京都御所の鎮守の神として知られる下御霊神社。
秀吉の都市改造によって、現在の寺町通り沿いに居を構えます。
下御霊神社の御祭神は、吉備真備や崇道天皇(早良親王)を始めとする八柱で構成されており、八所御霊と呼ばれます。崇道天皇の祟りはあまりにも有名ですが、政争に巻き込まれて憤死した人々の怨霊を慰めるために創建されています。
下御霊神社の山門。
寺町通りに面しており、とても人通りの多い場所です。
山門の上の方に龍が居ます。
今年の干支である龍が、参拝客の出入りを見守ります。
お寺の紋がデザインされていますが、どうやら沢潟紋(おもだかもん)のようですね。下御霊神社の寺紋は「花沢潟に水」とされます。
昇り龍の大絵馬が掲げられていました。
停滞ムードの漂う世の中に、一石を投じようとする龍の姿に頼もしさを感じます。
桓武天皇の御代に、各地で疫病が流行しました。
疫病の流行は御霊の祟りであるとして、貞観5年(863年)5月20日、平安京の神泉苑に於いて御霊会が催されました。この御霊会が下御霊神社、および上御霊神社の創祀であるとされます。
朱色の鳥居がよく映えます。
下御霊神社から寺町通りを北へ向かえば、京都三名水で知られる梨木神社、南に歩を取れば織田信長のお墓が眠る本能寺が佇みます。歴史ある寺社が集まる寺町通りの名所として覚えておきたいですね。