六道の辻は葬送の地として知られています。
鳥辺野に死者を送る入口に当たる場所が六道の辻です。
その六道の辻に、子育地蔵尊があります。
この世とあの世の境界線に西福寺というお寺があります。
六道の辻に建っている小さなお寺です。
嵯峨天皇の御代に、弘法大師が地蔵堂を建立し今に至っています。
毎年8月のお盆の時期に、庶民の伝統行事「お精霊迎え」の六道詣りが何百年にも渡って続いています。
嵯峨天皇の皇后であらせられた檀林皇后が、この西福寺にしばしば参詣されたそうです。
皇子が病に倒れられたとき、西福寺の地蔵尊に祈願をされました。その甲斐あって、無事に快癒されたお話が今に伝わっています。
西福寺の門をくぐった所に、檀林皇后がお祈りをされている様子が描かれています。
以来、六道の辻地蔵尊を「子育て地蔵」、「六波羅地蔵」と呼ぶようになったそうです。
六道とは、人間が直面することになる六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の6つの道を意味します。
地獄・餓鬼・畜生を三悪道、修羅・人間・天上を三善道といいます。
子育地蔵尊の近くには、六波羅密寺や六道珍皇寺などがあります。
清水寺や大谷本廟も近く、その昔は風葬の地として有名な場所でした。
奥嵯峨にある化野念仏寺の記事を書かせて頂きましたが、鳥辺野も同じく葬送の地でした。
子育地蔵尊の前のお店で購入した飴。
商品名を「幽霊子育飴」といいます。
京名物「幽霊子育飴」の由来を見てみると、こう書かれていました。
”今は昔、慶長4年京都の江村氏妻を葬りし後、数日を経て土中に幼児の泣き声あるをもって掘り返して見れば、亡くなりし妻の産みたる児にてありき、然るに其の当時夜な夜な飴を買いに来る婦人ありて幼児掘り出されたる後は、来らざるなりと・・・・。”
このお店の住所を見てみると、京都市東山区松原通大和大路東入2丁目轆轤町・・・となっています。
轆轤町(ろくろちょう)!
轆轤町の地名の由来は髑髏(どくろ)にあります。
風雨にさらされた頭蓋骨がたくさん掘り出されたことに因みます。
風葬の地にふさわしい地名ですよね。
ドクロではあまりにおどろおどろしいため、江戸時代に六波羅という地名に変えたとも伝えらえます。
この世とあの世の境目・・・
京都の奥深い歴史が垣間見えてきます。
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