新撰組の兵法調練場にもなったことのある壬生寺。
漬物に使われる壬生菜の産地としても知られますが、この壬生という地名の由来はどこから来ているのでしょうか?
壬生寺の水掛地蔵。
壬生はその昔、「水生」と書かれていました。そう、この辺りは湿地帯だったのです。
京都の古地図を広げてみても、壬生寺のある一帯から南西地域は広く湿地帯で水田が広がっていました。水に恵まれた土地柄だったわけですね。
そこで栽培されていたのが、京野菜として名を馳せる壬生菜です。
壬生寺の地名由来には、「水生」という土地の特徴が隠されていたのです。
おそらく近藤勇、土方歳三、沖田総司らの新撰組の志士たちも壬生菜を口にしていたのではないでしょうか。壬生寺の境内には、近藤勇をはじめとする11名の隊士が眠る壬生塚というお墓があります。
壬生寺の境内でもひと際目を引く千体仏塔。
1989年の平成元年、お寺の創建1,000年を記念して改築されました。
ミャンマー(ビルマ)によく見られるパゴダの形を模して造られています。
明治の廃仏毀釈の影響なのでしょうか、京都市内の石仏が集められているようです。
行き場を失った石仏たちが壬生寺境内に収まります。
壬生寺といえば、壬生狂言でも知られますよね。
新撰組の兵法調練場でもあった壬生寺ですが、子ども好きで知られる沖田総司が子どもたちを集めて遊んだり、壬生狂言を鑑賞したりする、静かで心落ち着く場所でもありました。
壬生寺のご本尊は延命地蔵菩薩です。
壬生寺は新撰組の屯所から50mも離れていない所に佇みます。
池田屋騒動などで一躍名を上げ、隊員の数がどんどん増えていった新撰組。屯所では収容しきれなくなり、西本願寺に屯所を移すことになります。
その頃、会津藩から大砲2門をもらいうけ、新しい戦術を編み出そうとしていた新撰組。西本願寺で大砲の練習をしていたところ、周辺からクレームを受けることになります。西本願寺を離れ、やむを得ず壬生寺を隊士の修練場とすることになりました。
壬生寺の壬生は「水生」に由来する。
京都のうんちくをまた一つ勉強させて頂きました。
◇霊山歴史館 新撰組の志士たちの足取りを追いましょう!