豊臣秀吉にゆかりのある耳塚をご案内致します。
秀吉が朝鮮出兵において、その戦果として持ち帰ったという耳や鼻が埋められている塚です。何ともおぞましい侵略戦争の痕跡が、ここ耳塚にはあります。
耳塚のある場所は秀吉を祀る豊国神社のすぐ近くです。
方広寺にも程近く、耳塚周辺は豊臣秀吉一色に彩られています。
戦において、敵兵の首を持って帰ることはよく知られています。朝鮮出兵においても、最初は首が戦果として持ち帰られました。ところが首では容積をとってしまうとのことで、耳になり、最後は鼻になったと伝えられます。
耳塚のあるこの辺りは、冥界への境界とされる六道の辻も程近く、この世とあの世を結ぶ異様な雰囲気に満ちています。
秀吉の朝鮮出兵は1592年と1597年の2度に渡りました。耳や鼻を切り取る残虐な行為は、二度目の侵略時に本格化したようです。
耳塚の周辺地図がありました。
切り取られた耳や鼻は、諸大名が軍目付に集めました。そこから軍目付は耳や鼻の数を点検し、樽や桶に塩漬けして、名護屋経由で京都にいる秀吉に送ったといいます。
耳塚(鼻塚)の案内書き。
送られてきた耳や鼻をこの地に埋め、塚を築いた秀吉・・・1597年9月28日には、僧400名を集めて供養を行ったと伝えられます。
それにしても恐ろしいお話ですよね。
隣国の韓国とは仲良くやっていかなければなりません。こういう歴史があったことを私たちは忘れてはなりません。
サッカーの日韓戦、ヨン様ブームに湧いた韓国ドラマなど、身近なところで私たちは韓国に接しています。現代に生きる若者が、秀吉の朝鮮出兵の内実を知る機会はそう多くはないと思われます。
この地を実際に訪れて、色々なことを感じ取ってもらいたいものです。もちろん、私たち大人にも同じことが言えます。
耳塚から国境を超えた悲しい歴史をご案内致しました。